- 「広報」や「編集」の概念を常時アップデートしていく感じで -


「“死にたい”でググったらクソキュレーションメディア(笑)の記事が1番目に出てきて、読んでみたら転職サービスへ誘導してるPR記事だった運営死ね」

みたいな声がちらほら聞かれます。

私はライター、SEO屋、マーケター、デザイナー、エンジニアなどいろんな専門領域の方と一緒に仕事していきたい、そのために各領域の専門知識は身につけておきたいというスタンスの編集者的サムシング人材です。

ですので、この手の騒動が起きるたび、インターネッツの人たちが「このクソメディアのSEO対策のやり方気に食わねえ、俺たちで最高のコンテンツとメディアつくっていこうぜ」って噴き上がってる影でSEO屋さんが「まーたSEO屋の肩身が狭くなるのか」「そもそもSEO対策じゃなくてSEOな」とげんなりしている事案は認識しています(愛するSEO屋たちから聞いた)。

で、この手の問題は結局「Web編集者が足りない」問題に行き着く気がしたので、いろいろ肩書もってる人間としての個人的な考えをまとめました。

[要約]

[1] 超ネガティブKWでのSEOは、ああいう会社だけでなくそこらのライターたちも迂闊に手を出してはいけない気がする

[2] コンテンツ、ライティングの力だけで出来ることには限界がある

[3] ライティングとか頑張ってきた人で本気で世界変えたい人、Webマーケやらない?(求人ではなくただの意見です)


ユーザー体験を考える企画屋、マーケター的目線での意見

メディア運営、記事制作でまず考えるべきは、「このサイト、この記事で何をどこまで解決するか」という戦略・戦術です。もっといえば「文章である必要があるかどうか」とかいろいろありますけど。

少なくとも、本気で「死にたい」のようなネガティブ系KWで検索・流入した初回訪問ユーザーの心の闇を、記事というオンラインのみのコミュニケーションで解決できる確率は高くないと思います。

とてもつらいときに必要なことは「読む」「聞く」ではなく「話す」という行為です。別にあなたの話を聞きたいわけではないです。記事単体で90点とか100点のソリューションにはなる確率はとても低いので、特に本気で“死にたい”とググったユーザーの最も理想的な体験は「素晴らしい記事を読める」ことではなく、「自分の話を直接聞いてもらえる環境に誘導される」ことではないかと思います。

目的を達成するためには、お気軽悩み相談窓口への誘導、「友達に愚痴ってみる」ボタンをつくってLINEやMessangerを起動させるみたいな施策と組み合わせるべきだと考えます。ですので、検索したときの第一候補の記事は、あくまで「読み物」ではなく、「外部サービスのLP」になるのではないかと思います。

ただ、悩み相談チャットは即レスが重要で、カウンセリングの質も担保しなければならないので、ある程度は運営コストがかかります。ですので、そこを本気でやりたい人や会社は投資分を回収できるかどうかしっかり検討する必要があるとも思いました。心優しい資産家から寄付を受けられれば最高なのですが。

--

あと、そもそも“死にたい”で検索する人間で本気で死にたい人なんて多くないのでは説もあります。

該当する検索クエリのユーザー感情分布みたいなデータは持ってないので判断はつきませんが、もしそうであるなら、ページの内容自体は70点くらいの「重すぎない(必死すぎない)もの」がいいんじゃないかと思います。(※ただ現在のGoogleアルゴリズムでは「重すぎない」ページがビッグワードで1位を取りづらいという問題はある)

そもそも検索という機能はマス向けのものなので、マジョリティに対する体験を設計することがミッションになります。 ですので、まずユーザーが何を求めているのかをリサーチすることが大切だと思っています。

本職の企画屋、マーケターであればもっといろいろ深く考えてくれると思いますけど、そっちの専門家ではないので私の意見はこんな感じです。

メディア運営や制作に携わるWeb編集者、ディレクター的目線での意見

「死にたいで検索したらこんな記事が1番目に出てくるとかこんなメディアやってるお前(編集長)が死ね」問題について。

とはいえ、Webサイトやメディアで幅広く深く情報を提供しようとすると、趣味ではやれないので、「仕事」になります。

趣味でやる媒体では協力者に対価を支払えないので、表示速度に優れたサイト開発ができるエンジニアも、ホワイトなSEO施策ができるSEO屋も、専門性や筆力の高いライターも巻き込めず、Google様にお金を落とす(リスティング)こともできず、結果として「狙ったKWで1位を取る」「ユーザーに良い体験をしてもらう」確率は下がっていきます。

仕事としてやる以上、検索を狙って書いた記事は1ページ目(上位3位以内)に出るか出ないかが最も大切で、まずWebマーケという観点で結果を出さなければ、Webサイト、メディアや、編集者という職業の存在価値も社内外に証明できません。予算も取りづらいです(売上がすべてという脳筋クライアントは切ればいいですが、それでもエンジェルみたいなクライアントだけではありません)。となると、「死にたい」みたいなKW群のボリュームが大きいのであれば、検索上位化する施策自体はプロジェクトにとって重要になります。

メディア業界、Webマーケ業界の問題としては、こういう「コンテンツの流通」「Webの運営」を考える人材が、制作寄りではなくマーケ、ビジネス寄りの人材に集中してしまっていることだと思います。

一般的な“編集者”や“コンテンツメーカー”は「UU増とかSEOではなく制作に集中して、常に80点をキープしつつ90点台を連発したい」という人が多い印象で、一般的な“メディアディレクター”は「記事単体は30~50点でもいいからガッツリWebマーケ施策(分散流通、SEO、広告連動、リテンション向上、アプリ連携など)をやって、メディアを大きくして売上を拡大したい」という人が多い印象。当然の結果として、検索結果ページは後者の方々が支配しています。

--

個人的には、一人の書き手ではない、サイトを運営する人間の役割は、インターネッツの大海に送り出す記事およびサイト全体が検索エンジン、各種レコメンドエンジン、SNSユーザー(マジョリティの感覚)の期待に応えられる設計にすること、すべての記事において67点以上を死守すること、そしてサイトへの流入数を増やし続ける(ための戦術を練る)ことだと思っています。上記の中間的なポジションですね。

補足すると、「まだしばらくは、記事の定性評価点は60点くらいあればよくて(30点ではきびしいけど)、それ以上はSEOマーケティングと内部改善に労力を割くほうが上位化できる確率は高くなる」という仮説のもとで、私はボーダーを67点にしています。ですので、Googleのアルゴリズムの変化は常に追っていき、今後ボーダーを引き上げる必要が出てきたらすぐにスタンスを変えると思います。

しかし、そもそもサイト運営者の役割はあくまで制作・流通・運営の全体なので、現実的には「Webマーケを考えつつ、記事の評価点のボーダーラインを引き上げる(高く保つ)」ことはとても難しいです。 だからこそ、良い書き手や企画屋を守る・育てることはとても大切になり、私は今でもライティングの仕事はたまにやるし、特定ジャンルにおいては自信も実績もあるし、ライターと同じ感覚を持って現場に立とうとしています。

が、これも結構リソース圧迫するのでどうするのがベストなのかなぁと思案中です。大規模案件なら編集長が司令塔で編集者はコンテンツメーカー寄りっていう分業(従来の出版社システム)が大成功すれば可能性あるけど、中小規模の組織でやらなあかん案件のほうがWebには多いので。

まとめ: Web編集者やメディアの役割をもう一度整理しよう

なぜこのようなエントリを書いたかといえば、最近、「Web編集者=ライターと二人三脚で、素晴らしい記事をつくる役割」「メディアを運営する人はSNSの拡散力があってナンボ」みたいな風潮がある気がしていて、まったくもって同意しかねるからです。

書き手と一緒に良いコンテンツをつくること、良い書き手を育てることはあくまで一つの仕事でしかないです。それだけやりたいならライターの王になればいいので。

というか、これまでちゃんとライティングや編集を仕事にしてきた人がみんなそういうノリでWebマーケの戦場に立ってるようでは、低品質なユーザー体験しか提供しないWebを、検索エンジンやレコメンドエンジンの中での上位候補から引きずり下ろせる日は来ないと思っています。


「SNS中心に、ビジュアルやイメージから選ぶようになる」「お気に入りのサイト、アカウントだけ見る」「だから、いいものをつくっていれば勝てる世の中が来る」ってのはグルメ、ファッションみたいな「間違った選択をしても死なない一部の趣味的カテゴリ」の話がほとんどです。多くのカテゴリではこの先もユーザーは検索をしますし、Webページは検索エンジンやレコメンドエンジン、人工知能的なサムシングに審査される立場にあると思います。 間違ったら大きな痛手になるカテゴリ(不動産、金融、キャリア、医療など)であれば、BもCも情報収集行為に対してそれなりに手間はかけますよね。

「被リンク=悪! SEO屋絶滅しろ!」「SEOとかダサい。目先の流入ではなく、ブランドを築くことが大事」「Web開発のこと全然わからないからエンジニアに丸投げしよー」とか言ってるライターとか編集界隈の人は今時いないと思いますけど、なんか「いいものをつくろう!!」方面に偏ってる印象は受ける今日この頃です。

たぶん私のような“コンテンツメーカー”と“メディアディレクター”の中間スタンスの人は、プライベートにおけるSNSとかブログでのアピールが得意でも好きでもない人、むしろ文章書くのが嫌いな人が多い(私はこの記事を書いている最中に何度もお蔵入りさせようとしました)し、「こう思う」「こんな会議してきました」とかMediumやnoteに書くタイプは少ないと思うので、発見しづらいレアポケモンなだけかもしれませんけどね。

【ちなみに…】 「つらい」系KWに対するコンテンツSEOならやったことある

先日まで、仕事として、就活生向けメディアというニッチな仕事をやってました。苦労はいろいろあったけど、ライターとしては1,000いいね、20,000PVの記事を生んだり、メディアとしては毎月継続的にアプリインストールにつなげたり、最低限の結果は残したと思っています。

当時の施策の一つとして、「就活」「面接」+「つらい」「もう無理」「疲れた」みたいなネガティブ系KWにはかなり網を張っていたので、そのへんのKWで検索すると複数の記事が上位に出てきます。
(例: http://scope.life-app.jp/interview/sikujiri/189/ )

役員やライターは学生に対する情熱を持ったビジョナリーな人間たちでしたが、私は別にそんなにたいした情熱は持っていません。

もしかしたら、ネガティブなKWで検索する学生に対して情熱をこめた記事を届けたかった人が世の中にはたくさんいるかもしれません。

ただ、(優秀なライターやSEOマーケターと一緒に仕事ができたので記事自体は結構いいと思うんですが、)たいして情熱もない編集長が多くのKW群での上位表示をおさえたことは事実です。 私が言いたいのはそういうことです。

さいごに

今年で30歳になったのですが、やっぱりこの歳になると「自分の役割」を考えるんですよね。今まですてきなパイセンたちから言われた名言とかもフラッシュバックしてきて。

自分自身、仕事として何かを情熱的に伝えるということは今後もできないと思うので、熱血ドリーマーの人はそれだけですげーなーと思います。自分はただ「うつくしいものをつくりたい」だけなので、仕事はなんでもいい。

そして自分自身は有名になりたいとか一切なく、千葉とかの田舎のほうで細々と商売できればいいのですが、「力が欲しい…この世界を変える力が…」的な人((「こうあるべき」を周りに押し付けない、周りが見えている素直な制作経験者)は応援したいと思っていて、そこが自分の役割・使命的なものではないかと思っています。

今後も引き続きすてきなパイセンたちから学ばせていただきつつ、同世代とか若い世代に何かしらを気づきを与えていければいいなと思う次第です。とりあえずWeb編集界隈はもっと「自分の役割」考えて頑張っていければいいなと思います。というか頑張っていきましょう。

それでは各々、抜かりなく。

「○○でググったらこんな記事が1番目に出るのはおかしい」という嘆きを減らすにはもっとWeb編集者が必要だ


「“死にたい”でググったらクソキュレーションメディア(笑)の記事が1番目に出てきて、読んでみたら転職サービスへ誘導してるPR記事だった運営死ね」

みたいな声がちらほら聞かれます。

私はライター、SEO屋、マーケター、デザイナー、エンジニアなどいろんな専門領域の方と一緒に仕事していきたい、そのために各領域の専門知識は身につけておきたいというスタンスの編集者的サムシング人材です。

ですので、この手の騒動が起きるたび、インターネッツの人たちが「このクソメディアのSEO対策のやり方気に食わねえ、俺たちで最高のコンテンツとメディアつくっていこうぜ」って噴き上がってる影でSEO屋さんが「まーたSEO屋の肩身が狭くなるのか」「そもそもSEO対策じゃなくてSEOな」とげんなりしている事案は認識しています(愛するSEO屋たちから聞いた)。

で、この手の問題は結局「Web編集者が足りない」問題に行き着く気がしたので、いろいろ肩書もってる人間としての個人的な考えをまとめました。

[要約]

[1] 超ネガティブKWでのSEOは、ああいう会社だけでなくそこらのライターたちも迂闊に手を出してはいけない気がする

[2] コンテンツ、ライティングの力だけで出来ることには限界がある

[3] ライティングとか頑張ってきた人で本気で世界変えたい人、Webマーケやらない?(求人ではなくただの意見です)


ユーザー体験を考える企画屋、マーケター的目線での意見

メディア運営、記事制作でまず考えるべきは、「このサイト、この記事で何をどこまで解決するか」という戦略・戦術です。もっといえば「文章である必要があるかどうか」とかいろいろありますけど。

少なくとも、本気で「死にたい」のようなネガティブ系KWで検索・流入した初回訪問ユーザーの心の闇を、記事というオンラインのみのコミュニケーションで解決できる確率は高くないと思います。

とてもつらいときに必要なことは「読む」「聞く」ではなく「話す」という行為です。別にあなたの話を聞きたいわけではないです。記事単体で90点とか100点のソリューションにはなる確率はとても低いので、特に本気で“死にたい”とググったユーザーの最も理想的な体験は「素晴らしい記事を読める」ことではなく、「自分の話を直接聞いてもらえる環境に誘導される」ことではないかと思います。

目的を達成するためには、お気軽悩み相談窓口への誘導、「友達に愚痴ってみる」ボタンをつくってLINEやMessangerを起動させるみたいな施策と組み合わせるべきだと考えます。ですので、検索したときの第一候補の記事は、あくまで「読み物」ではなく、「外部サービスのLP」になるのではないかと思います。

ただ、悩み相談チャットは即レスが重要で、カウンセリングの質も担保しなければならないので、ある程度は運営コストがかかります。ですので、そこを本気でやりたい人や会社は投資分を回収できるかどうかしっかり検討する必要があるとも思いました。心優しい資産家から寄付を受けられれば最高なのですが。

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あと、そもそも“死にたい”で検索する人間で本気で死にたい人なんて多くないのでは説もあります。

該当する検索クエリのユーザー感情分布みたいなデータは持ってないので判断はつきませんが、もしそうであるなら、ページの内容自体は70点くらいの「重すぎない(必死すぎない)もの」がいいんじゃないかと思います。(※ただ現在のGoogleアルゴリズムでは「重すぎない」ページがビッグワードで1位を取りづらいという問題はある)

そもそも検索という機能はマス向けのものなので、マジョリティに対する体験を設計することがミッションになります。 ですので、まずユーザーが何を求めているのかをリサーチすることが大切だと思っています。

本職の企画屋、マーケターであればもっといろいろ深く考えてくれると思いますけど、そっちの専門家ではないので私の意見はこんな感じです。

メディア運営や制作に携わるWeb編集者、ディレクター的目線での意見

「死にたいで検索したらこんな記事が1番目に出てくるとかこんなメディアやってるお前(編集長)が死ね」問題について。

とはいえ、Webサイトやメディアで幅広く深く情報を提供しようとすると、趣味ではやれないので、「仕事」になります。

趣味でやる媒体では協力者に対価を支払えないので、表示速度に優れたサイト開発ができるエンジニアも、ホワイトなSEO施策ができるSEO屋も、専門性や筆力の高いライターも巻き込めず、Google様にお金を落とす(リスティング)こともできず、結果として「狙ったKWで1位を取る」「ユーザーに良い体験をしてもらう」確率は下がっていきます。

仕事としてやる以上、検索を狙って書いた記事は1ページ目(上位3位以内)に出るか出ないかが最も大切で、まずWebマーケという観点で結果を出さなければ、Webサイト、メディアや、編集者という職業の存在価値も社内外に証明できません。予算も取りづらいです(売上がすべてという脳筋クライアントは切ればいいですが、それでもエンジェルみたいなクライアントだけではありません)。となると、「死にたい」みたいなKW群のボリュームが大きいのであれば、検索上位化する施策自体はプロジェクトにとって重要になります。

メディア業界、Webマーケ業界の問題としては、こういう「コンテンツの流通」「Webの運営」を考える人材が、制作寄りではなくマーケ、ビジネス寄りの人材に集中してしまっていることだと思います。

一般的な“編集者”や“コンテンツメーカー”は「UU増とかSEOではなく制作に集中して、常に80点をキープしつつ90点台を連発したい」という人が多い印象で、一般的な“メディアディレクター”は「記事単体は30~50点でもいいからガッツリWebマーケ施策(分散流通、SEO、広告連動、リテンション向上、アプリ連携など)をやって、メディアを大きくして売上を拡大したい」という人が多い印象。当然の結果として、検索結果ページは後者の方々が支配しています。

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個人的には、一人の書き手ではない、サイトを運営する人間の役割は、インターネッツの大海に送り出す記事およびサイト全体が検索エンジン、各種レコメンドエンジン、SNSユーザー(マジョリティの感覚)の期待に応えられる設計にすること、すべての記事において67点以上を死守すること、そしてサイトへの流入数を増やし続ける(ための戦術を練る)ことだと思っています。上記の中間的なポジションですね。

補足すると、「まだしばらくは、記事の定性評価点は60点くらいあればよくて(30点ではきびしいけど)、それ以上はSEOマーケティングと内部改善に労力を割くほうが上位化できる確率は高くなる」という仮説のもとで、私はボーダーを67点にしています。ですので、Googleのアルゴリズムの変化は常に追っていき、今後ボーダーを引き上げる必要が出てきたらすぐにスタンスを変えると思います。

しかし、そもそもサイト運営者の役割はあくまで制作・流通・運営の全体なので、現実的には「Webマーケを考えつつ、記事の評価点のボーダーラインを引き上げる(高く保つ)」ことはとても難しいです。 だからこそ、良い書き手や企画屋を守る・育てることはとても大切になり、私は今でもライティングの仕事はたまにやるし、特定ジャンルにおいては自信も実績もあるし、ライターと同じ感覚を持って現場に立とうとしています。

が、これも結構リソース圧迫するのでどうするのがベストなのかなぁと思案中です。大規模案件なら編集長が司令塔で編集者はコンテンツメーカー寄りっていう分業(従来の出版社システム)が大成功すれば可能性あるけど、中小規模の組織でやらなあかん案件のほうがWebには多いので。

まとめ: Web編集者やメディアの役割をもう一度整理しよう

なぜこのようなエントリを書いたかといえば、最近、「Web編集者=ライターと二人三脚で、素晴らしい記事をつくる役割」「メディアを運営する人はSNSの拡散力があってナンボ」みたいな風潮がある気がしていて、まったくもって同意しかねるからです。

書き手と一緒に良いコンテンツをつくること、良い書き手を育てることはあくまで一つの仕事でしかないです。それだけやりたいならライターの王になればいいので。

というか、これまでちゃんとライティングや編集を仕事にしてきた人がみんなそういうノリでWebマーケの戦場に立ってるようでは、低品質なユーザー体験しか提供しないWebを、検索エンジンやレコメンドエンジンの中での上位候補から引きずり下ろせる日は来ないと思っています。


「SNS中心に、ビジュアルやイメージから選ぶようになる」「お気に入りのサイト、アカウントだけ見る」「だから、いいものをつくっていれば勝てる世の中が来る」ってのはグルメ、ファッションみたいな「間違った選択をしても死なない一部の趣味的カテゴリ」の話がほとんどです。多くのカテゴリではこの先もユーザーは検索をしますし、Webページは検索エンジンやレコメンドエンジン、人工知能的なサムシングに審査される立場にあると思います。 間違ったら大きな痛手になるカテゴリ(不動産、金融、キャリア、医療など)であれば、BもCも情報収集行為に対してそれなりに手間はかけますよね。

「被リンク=悪! SEO屋絶滅しろ!」「SEOとかダサい。目先の流入ではなく、ブランドを築くことが大事」「Web開発のこと全然わからないからエンジニアに丸投げしよー」とか言ってるライターとか編集界隈の人は今時いないと思いますけど、なんか「いいものをつくろう!!」方面に偏ってる印象は受ける今日この頃です。

たぶん私のような“コンテンツメーカー”と“メディアディレクター”の中間スタンスの人は、プライベートにおけるSNSとかブログでのアピールが得意でも好きでもない人、むしろ文章書くのが嫌いな人が多い(私はこの記事を書いている最中に何度もお蔵入りさせようとしました)し、「こう思う」「こんな会議してきました」とかMediumやnoteに書くタイプは少ないと思うので、発見しづらいレアポケモンなだけかもしれませんけどね。

【ちなみに…】 「つらい」系KWに対するコンテンツSEOならやったことある

先日まで、仕事として、就活生向けメディアというニッチな仕事をやってました。苦労はいろいろあったけど、ライターとしては1,000いいね、20,000PVの記事を生んだり、メディアとしては毎月継続的にアプリインストールにつなげたり、最低限の結果は残したと思っています。

当時の施策の一つとして、「就活」「面接」+「つらい」「もう無理」「疲れた」みたいなネガティブ系KWにはかなり網を張っていたので、そのへんのKWで検索すると複数の記事が上位に出てきます。
(例: http://scope.life-app.jp/interview/sikujiri/189/ )

役員やライターは学生に対する情熱を持ったビジョナリーな人間たちでしたが、私は別にそんなにたいした情熱は持っていません。

もしかしたら、ネガティブなKWで検索する学生に対して情熱をこめた記事を届けたかった人が世の中にはたくさんいるかもしれません。

ただ、(優秀なライターやSEOマーケターと一緒に仕事ができたので記事自体は結構いいと思うんですが、)たいして情熱もない編集長が多くのKW群での上位表示をおさえたことは事実です。 私が言いたいのはそういうことです。

さいごに

今年で30歳になったのですが、やっぱりこの歳になると「自分の役割」を考えるんですよね。今まですてきなパイセンたちから言われた名言とかもフラッシュバックしてきて。

自分自身、仕事として何かを情熱的に伝えるということは今後もできないと思うので、熱血ドリーマーの人はそれだけですげーなーと思います。自分はただ「うつくしいものをつくりたい」だけなので、仕事はなんでもいい。

そして自分自身は有名になりたいとか一切なく、千葉とかの田舎のほうで細々と商売できればいいのですが、「力が欲しい…この世界を変える力が…」的な人((「こうあるべき」を周りに押し付けない、周りが見えている素直な制作経験者)は応援したいと思っていて、そこが自分の役割・使命的なものではないかと思っています。

今後も引き続きすてきなパイセンたちから学ばせていただきつつ、同世代とか若い世代に何かしらを気づきを与えていければいいなと思う次第です。とりあえずWeb編集界隈はもっと「自分の役割」考えて頑張っていければいいなと思います。というか頑張っていきましょう。

それでは各々、抜かりなく。